ブログどす
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新しいパソコンを購入してまずやったことといえば、
壁紙を一八様に変えることでした。
そして古いパソコンの壁紙をポールに変えました。
二つのノートパソコンをお互いに向き合うように開きました。
パソコンの画面の中で、一八様とポールが見詰め合っています。
「ビャー!」
いたたまれなくって、ポールのパソコンをパターンと閉じました。
次に仁くんで試してみて、
やっぱり不穏な空気を思って閉じました。
新しいパソコンは見た目クールなくせにすぐ熱くなっちゃう、まるで一八様の様にはしたないパソコンです。
使いづらいところは多々ありますが、パソコンを使うのではなくわたしが仕えるのだという気構えをもって接していきたいと思います。
フヒヒwwww
ちょっとくどい。文章がくどくなってくるといいことはあんまりない。
二十年もかけて一八は死の淵より甦った。目覚めてから完全に体の自由を取り戻すまで一月ほどかかった。
力が復活するまで自分の生存を平八に知られまいと、むしろ望んで一八は室内に篭っていたのだが、体が動くようになるとすぐさまアメリカ支部に居を移すことに決めた。
アメリカという地は実は一八にとって縁が薄い。仕事上の取引はあったがわざわざ一八が直接出向くような事態は数少なかったし、むしろ平八の時代から続いた『頭首詣で』により要人は向こうから出向いてくる事が多かったのだった。
だがそれ以上に平八も縁が薄い。ある一定の年齢を超えた日本人男性はアメリカ、という単語に妙な苦手意識もしくは敵対コンプレックスを抱いている。
傑物、怪物、難物と呼ばれる平八ですらそうで、毛唐などとは付き合えんわい、と人権団体が聞いたら眉を吊り上げそうな事を根拠も無く口にすることがあった。
アメリカコンプレックス。アメリカは強大だ、そして広大だ、そんな意識に支配されて、人探しをするなど砂漠で針を探すようなものだと端から諦めさせてしまう。それだけの力があった。
一八にもアメリカコンプレックスの名残のようなものが無いわけでもなかったが、やはり世代が違う。平八の目が届かないだろうと踏んでアメリカへ渡る事を決め、研究員達の反対を退ける。
その頃不快な息苦しさに一八は毎夜奥歯を噛み締めている事が多くあった。早くここから出たいばかりだったが、しかし弱音は奥歯で砕いた。